地域の情報(2)



鴨居第八地区 鴨居原農専区域の風景
鴨居第八地区は鴨居原農専区域から、バス停地蔵前の道路を越えて竹山団地下の竹山の一部も含む地域です。学校区は3つの小学校と2つの中学校があり、諸行事の豊な地域でもあります。
そして、地域の殆どが鴨居町の町名を継承している地区です。独自で鴨居第八地区自治会館を持っています。
鴨居原農専区域は畑と山肌でしたが、農地造成の折に遺跡が発掘されました。付近の切通しには貝塚も散見され、昔の鎌倉街道とも言われておりました。                
   


写真は露地栽培完熟トマト







鴨居の地名

鴨居の地名の由来は、正確には分からない。文献で最初に出てくるのは戦国時代に出された『小田原衆所領役帳』で「小机衆三郎 廿八貫四百 八文 鴨居」と書かれています。
当地の故黒滝藤太郎氏は昭和四十八年に『鴨居変遷史』を出していますがその中で次のように推測しています。「水流の運んだ土砂が岸に堆積し、其の上に葦が密集して水の流れもゆるやかになって、次第に鴨の生息に好条件たらしめ鴨が群生するに至ったから此の名が生まれたものであろう」。
事実、鴨居駅辺りがまだ沼地であったころまでは、周辺はよしや葦が茂っていて沼にはドジョウ、フナなどの小魚が多く、鴨が住むには都合の良いところであったようだ。
さらに別な説として、うっそうとした木の繁った所を神様のおられる場所として神居(カムイ・・・アイヌ語)と言ったので、それが変化してカモイ・鴨居となったという説も有るが、大昔は木の繁った所は諸所方々に数多く有ったものと想定される。従ってそちこちにカモイという地名があってもおかしくないと思われるが、鳥の鴨が多く生息していたからこの地名が起こったと考える方が自然であろう。(鴨居史より)



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